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概要

吉富町町勢要覧

2016 吉富町 町勢要覧small, but comfortable涅槃絵図(町指定 有形文化財) 6世紀半頃に築かれたものと推定される天仲寺古墳は豊前・築上地域で最大の円墳です。巨石を使った複式構造で、主体部の横穴式石室は全長9.7メートルに及び、棺を納める玄室(幅3.2メートル)と前室(幅2.7メートル)の3段構造。石室内は盗掘を受けていましたが、1983(昭和58)年の発掘調査で銅鈴3個、留金具3点、須恵器片、埴輪片などが出土されました。天仲寺古墳町指定 史跡 幅3メートル、高さ2メートルの巨石に、北向きに横たわる御釈迦様とその姿を囲んで嘆き悲しむ諸菩薩や佛弟子たちの様子が浮き彫りにされています。鈴熊山の北方山腹にあり、鈴熊寺中興の祖とされる天台宗の僧午道法印が彫刻したといわれています。涅槃石町指定 史跡 島田虎之助は勝海舟の剣術の師としても知られる幕末の剣豪です。豊前中津藩士の四男として生まれ、少年時代から毎晩、山国川を渡って本町・天仲寺山に登り剣法の修練に精進したと伝えられています。 島田虎之助 修練の地(剣心一致の碑) 僧行基が734(天平6)年に建立したと伝承されていましたが、近年では本尊である薬師如来坐像の制作年代から平安時代後期に天台宗寺院として建立されたと考えられています。室町時代には山口から出陣した武将・守護大内盛見が滞在し、その後、同寺の住持が豊後の戦国大名・大友義統の使僧として活躍するなど格式ある寺院であったことがうかがわれます。江戸時代には真言宗に改宗しています。 現在も薬師如来坐像のほか多くの有形文化財が大切に伝えられています。 鈴熊寺には以下のように多数文化財が保存されています。 ▲涅槃絵図(町指定 有形文化財) ▲木造十一面観音菩薩坐像(町指定有形文化財) ▲木造 宇賀神像  ▲銅製 歓喜天立像▲木造 増長天立像 ▲木造 多聞天立像  ▲木造 勢多迦童子立像▲木造 不動明王坐像金華山鈴熊寺 八幡古表神社に残る江戸時代の古地図では「海岸近くの小高い丘の上の巨石」として描かれています。人が神を祀る以前、山や石が神様の座であるとされた時代の巨石信仰の一つと考えられ、周辺からは弥生式土器も多数出土されています。皇后石町指定 史跡 鈴熊寺に鎮座する薬師如来坐像は、その作風から平安時代後期の作と推定されており、築上郡内で最も古い国指定の仏像です。戦国時代、キリシタン大名の大友宗麟によって寺堂が焼き討ちに遭った際に本尊も行方不明になりましたが、江戸時代初期に田畑から発見。1632(寛永9)年豊前中津藩主・小笠原長次が寺を再建し、本尊も帰座したと伝えられています。木造薬師如来坐像国指定 重要文化財 彫刻19