【10】吉富町の古墳
■吉富町の古墳
6世紀後半代では、吉富町内に
天仲寺古墳は、複式構造の巨石を使用した横穴式石室を主体部にしていますが、全長9.7メートル、玄室幅3.2メートル、前室幅2.7メートルの規模です。既に石室内は盗掘されていたものの、前庭部から銅鈴3、留金具3点、須恵器片などが出土して7世紀初頭頃まで追葬していたものとみられます。ただし、周溝とされる調査区域からは先行する時期の土器や埴輪が出土していますので、天仲寺古墳以前の墳墓が現在の上水道施設や、
広運寺古墳は、単室の横穴式石室で大半が壊されていますが、周溝から出土した土器から6世紀後半頃の古墳であることが分かります。巨石使用古墳としては、上毛町吉岡の巨石塚もあります。前側を失っていますが玄室長5メートル、幅3.5メートル、高さ2.5メートル規模の石室が残っています。上毛町穴ヶ葉山古墳とともに
鈴熊山や茶臼山古墳群(現・鈴熊池付近)などでも、横穴式石室を主体部にする古墳が群集していたようです。鈴熊四ツ枝古墳群も含めて6世紀後半から末頃の古墳です。岡為造氏資料には、広運寺山・広運寺古墳採集の円筒埴輪数点と
■鈴熊四ツ枝古墳群
史跡
鈴熊 鈴熊山東側 田地
鈴熊山の東側に、巨石が地表に突き出た田地があり、巨石部分とその北側に6世紀頃の古墳2基があります。巨石部分の古墳(1号墳)は、半径4~5メートル程の円墳で、単室の横穴式石室で石室内の玄室は縦2メートル、横2.5メートルの規模で5センチメートル大の小石が敷き詰められ、さらにその下に20センチメートル大の敷石が確認されたことから、何世代かにわたる追葬古墳であることが分かりました。また、1号墳の北側でも古墳(2号墳)周溝部が確認され、1号墳同様に円墳であると思われます。1号墳では、玄室の小石を取り除くと青銅製のイヤリング2個とブレスレット1個、水晶の
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