【9】古墳の変化
■古墳の変化
弥生時代の
古墳時代の墓では、土壙墓や石棺墓のほかにも木棺を粘土で覆うものや、木棺などを石室に納め、石室を覆う盛土の丘が築かれたものがみられます。石室では、天井で蓋をする竪穴式石室(個人墓)から横に出入口を設けた横穴式石室(家族などの集団墓)が流行するようになります。また、盛土の墳丘でも大規模で高さの高いものが現れ、墳丘の形を単に方形や円形だけでなく、鍵穴形に盛った前方後円墳などもみられますが、大半の古墳は円墳で、これらを省略して壁に横穴を
山国川下流域では、上毛町にある
中津市三光上ノ原横穴群の埋葬人骨のDNA分析を加味した形質人類学研究では、父と子、孫の追葬が認められるものの、母に当たる人骨がみられないことから、父系血縁者のみ埋葬されて、配偶者は同一横穴墓内に葬らないという原理があったらしいと考えられています。当時の風習や規制を考える上で、非常に興味深い事例です。
■天仲寺古墳
町指定 史跡 昭和60年4月1日
広津 天仲寺山上 南
豊築地方最大の円墳で、年代は6世紀半頃と推定され、巨石を使った複室の横穴式石室は全長9.7メートルもあり、二重の周溝を持つ3段築造の古墳です。石室内は盗掘を受けており、昭和58年の発掘調査では、銅鈴3個、馬具と
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