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■古墳の変化

弥生時代の首長墓(しゅちょうぼ)の可能性がある墳墓としては、上毛町大塚本遺跡での中期方形墳丘墓(ほうけいふんきゅうぼ)が発見されています。この地域での一般的な墓は土壙墓(どこうぼ)で、なかには石で箱型に囲んだ石棺墓もみられます。山国川自然堤防上などに後期後半から終末期の甕棺墓(かめかんぼ)も散見されます。また終末期には穴ヶ葉山(あながはやま)遺跡の石蓋土壙墓群などに、鏡片を副葬するような墓もみられます。

古墳時代の墓では、土壙墓や石棺墓のほかにも木棺を粘土で覆うものや、木棺などを石室に納め、石室を覆う盛土の丘が築かれたものがみられます。石室では、天井で蓋をする竪穴式石室(個人墓)から横に出入口を設けた横穴式石室(家族などの集団墓)が流行するようになります。また、盛土の墳丘でも大規模で高さの高いものが現れ、墳丘の形を単に方形や円形だけでなく、鍵穴形に盛った前方後円墳などもみられますが、大半の古墳は円墳で、これらを省略して壁に横穴を()()いた横穴墓(おうけつぼ)も流行しています。

山国川下流域では、上毛町にある能満寺(のうまんじ)3号墳が、竪穴式石室をもつ全長33メートルの前方後円墳、近接する西方古墳も全長60メートル級の前方後円墳で、両者はともに4世紀代のこの流域での首長墓とみられます。この古墳の周辺には前後する時期の小墳丘古墳が集まっていますので、首長集団の墳墓とみられます。また、中津市勘助野地(かんすけのじ)古墳の方形墳の箱式石棺などからは、5世紀前半の玉類や鉄製品、櫛などが出土しています。この地域の首長あるいはそれに次ぐクラスの墳墓であったと思われます。

中津市三光上ノ原横穴群の埋葬人骨のDNA分析を加味した形質人類学研究では、父と子、孫の追葬が認められるものの、母に当たる人骨がみられないことから、父系血縁者のみ埋葬されて、配偶者は同一横穴墓内に葬らないという原理があったらしいと考えられています。当時の風習や規制を考える上で、非常に興味深い事例です。

■天仲寺古墳

pc_1138733495.jpg 町指定 史跡 昭和60年4月1日
広津 天仲寺山上 南

豊築地方最大の円墳で、年代は6世紀半頃と推定され、巨石を使った複室の横穴式石室は全長9.7メートルもあり、二重の周溝を持つ3段築造の古墳です。石室内は盗掘を受けており、昭和58年の発掘調査では、銅鈴3個、馬具と須恵器片(すえきへん)、埴輪片がわずかに出土しました。

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