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【5】京泊港と遠見番所

■小笠原中津藩

小笠原中津藩の浦港(うらみなと)は、中津港と京泊(きょうどまり)港でした。中津港は、中津町の堀川下小路(しもしょうじ)浦港のことで、中津城の北の運上場の所にありました。山国川の河港でもあった中津港は、干潮時は水深が比較的浅く、100~200石積の10反帆(たんぽ)程度の船しか停泊できませんでした。一方、高浜の京泊は、水深が「三(ひろ)半」(6.3メートル、『伊能忠敬(いのうただたか)測量日記』)と深く、中型や大型の船が停泊できました。この「京泊」という港は、もと入り江になっていた所で、京坂往復の商船が停泊していたところからつけられた港の名前です。九州では、玄海町(福岡)・肥前町(佐賀)・川内市(せんだいし)(鹿児島)などに京泊という港名があります。

寛永6(1638)年、中津藩主小笠原長次(ながつぐ)は、島原・天草一揆鎮圧のため3200人の藩兵を島原へ派遣しました。領内からは、唐原組大庄屋(とうばるぐみおおじょうや)を始め、17人の大庄屋も出兵したのです。藩兵を乗せた多くの船団が、京泊より出帆しました。

寛文8(1668)年、島原藩主高力隆長(こうりきたかなが)の改易に伴う城受け取り役が松浦鎮信(しげのぶ)と小笠原長勝(ながかつ)に命じられました。長勝は、藩兵4386人(うち船廻(ふなまわ)り446人)、乗馬138頭、荷馬527頭を中津から出立させ、4月27日に城を受け取り、城番に引き渡しています。この時、軍船(へいせん)200余艘が京泊より出帆しました。このように、京泊は、軍港としても利用されたのです。奥平中津藩の浦港は、中津港と京泊のほか、在浦(ざいうら)今津浦(いまづうら)布津部(ふつべ)の港と、中津藩の廻米積出港の一つ小浦(こうら)港(日出(ひじ)町幕府領)があり、筑前中津領には深江(ふかえ)港がありましたが、備後中津領は山間地域で、港を持ちませんでした。

文化2(1805)年2月17日、中津城の北にある日田蔵の米320石、(もみ)550石を積んだ大坂廻船(沖船頭忠左衛門)が、京泊を出帆後、まもなく高浜沖で沈没しました。このように、京泊は平時、商港として利用されました。高浜の「京泊」の西北の出鼻を、今なお「番所の鼻」と言っています。江戸時代に、この地に、「遠見番所」があったからです。

黒田、細川時代には、番所としての小舎(こや)はありませんでした。扶持人衆(ふちにんしゅう)(役人)が監視船に乗り込み、山国川河口域や周防灘沿海の遠見番をしたのです。遠見番所の小舎が作られたのは、小笠原長次の時代です。

寛永15年、長次は、島原・天草一揆の鎮圧・出陣の折、留守中の警護のため、高浜の京泊港の先端に、小屋掛けを命じました。(とま)に小舎をふき、小祝浦の者に、昼夜3人ずつ、遠見番をさせました。長次帰陣後、佐々木金左衛門を初代の番役人に任命、その後も、正式に番役人を置き、遠見番を続けました。この番小屋を「遠見番所」と呼びました。

文化2(1805)年2月、幕府は、唐物抜荷(からものぬけに)改めの(ふれ)を出し、抜荷(密貿易)を厳禁しました。大坂・堺・長崎、3ヵ所の宿老の印鑑が中津の川口、口屋番所に届けられ、高浜遠見番所で、出入りの船の抜荷改めが行われました。

■遠見番所跡

史跡 高浜 山国川河口西側
寛永15(1638)年、中津藩主小笠原長次公が、島原・天草の乱に出陣した際に、その留守中の番をするため、高浜の京泊港(現、埋立地)の先端に遠見番所を造ったと言われています。その後は、番役人を置き、その番小屋が番所と呼ばれました。御番所の内側の京泊港は、江戸時代には京坂商船の停泊所でした。寛文9(1669)年の大洪水までは、高浜と中津市小祝島は陸続きで、白砂青松の美しい海岸で、和歌にも詠まれるほどの名勝でした。

■番所踊り

町指定 民俗文化財 無形
平成4年11月16日 小犬丸 八幡古表神社

「番所踊り」の由来は、島原・天草の乱に中津藩が出陣し、多数の死傷者を出したため、その供養踊りとして始まったとされています。寛永15(1638)年、高浜海岸に遠見番所が造られ、番所の広場の供養碑の周りで、小祝の人たちが参加して踊っていたそうです。また、一説には番所にあまり人が寄りつかないため、番所役人が女性や子どもを集め、菓子などを与えて踊らせていたとも伝えられています。現在では、喜連島や高浜の婦人たちにより「番所踊り保存会」が組織され、普及・伝承活動を行っています。

「番所踊り」
番所オオホエ 御場がアー広い
ヤッコラセ 広い番所に来て踊れ
番所役人ソレヤ ホンホーエ 親切者よ
ヤッコラセ 腹の痛い時や 万金丹
盆の一六日ソレヤ ホンホーエ 踊らぬ者は
ヤッコラセ 猫か鼠か古狸

■法華経一石一字二部塔

町指定 有形文化財 建造物
平成4年11月16日
高浜 吉富漁港入口前

寛永年間(1637年頃)、島原・天草の乱に中津・小倉両藩も出陣し、多くの死傷者を出しました。その供養のため、文化元(1804)年8月、遠見番所の前の広場に建てられたものです。正面に「法華経一石一字二部塔 文化申子年八月」と刻まれています。また、法華経一石一字二部塔の周りで、番所踊りが踊られていたそうです。


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