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【6】山国川と舟渡し

■尾張名古屋

尾張名古屋の呉服商菱屋平七(ひしやへいしち)(吉田重房(しげふさ))の『筑紫紀行』享和元(1801)年4月21日の条に、次のような記事が散見されます。

「さてさい川を(かち)渡りす。水浅うして川はゞ広し。三丁(はか)り行てこひのまる(小犬丸)人家五、六十軒あり。村を離るれば中津川なり。川向かひに中津の城の塀・櫓見ゆ。是より川堤を一丁ばかり上がりて舟渡しあり。さて渡れば中津なり」。この紀行文によると、19世紀当初、橋が架かっていなかった佐井川(さいがわ)を、旅人は、浅瀬を歩いて渡り、山国川を渡し舟で渡っています。平七は、下往還(しもおうかん)を通り、広津の舟渡しを利用して中津町へ入っています。山国川河口域には、当時、舟渡しは、「広津渡し」しかなく、嘉永(1846~53年)の頃、小犬丸の治助(じすけ)が、渡し賃を取って「小犬丸渡し」を始めました。英彦山(ひこさん)の山腹野峠に源を発し、沖代(おきだい)平野を貫流して周防灘に注ぐ山国川は、古代には「御木川(みけがわ)」と呼ばれていました。その後、川の名は高瀬川・広津川・小犬丸川などと、それぞれの地域で俗称されていましたが、明治8(1875)年12月23日、小倉県(県令小幡高政(けんれいおばたたかまさ))は一旦「中津川」と決まりかけていた総名を「山国川」と確定し、布達(ふたつ)しました。

江戸時代、山国川の河口域は「高瀬川」と呼ばれ、小祝島の三角州で分流する中津城側を「表川」・「中津川」、京泊(きょうどまり)側を「裏川」「小犬丸川」などと呼んでいました。

文政10(1827)年、山国川の掘り下げ工事が行われ、樋田(ひだ)(中津市本耶馬渓町)から中津日田蔵までの川舟通船が実現しました。川舟1隻は五石積で運賃は米1石につき銀1(もんめ)6分2厘でした(日田・広瀬家文書)。また、山国川中流域からの材木川流しも行われたのです。

■広津渡しと小犬丸渡し

史跡 小犬丸 広津
小犬丸の舟渡しは、嘉永の頃に小犬丸の治助という人が始めたもので、渡し代金として三文を取っていたことから、「小犬丸の三文渡し」とも呼ばれたそうです。小犬丸渡しができる前までは、広津渡しを使って中津に出かけており、両岸を繋いだ大綱をつたって小舟で往復していたそうです。明治になってから小犬丸に、小舟の上に板を張り、それをいくつも繋いだ「舟橋(ふなばし)」と呼ばれる簡単な橋ができるまで、中津への交通手段として幅広く使われていました。また当時は、中津城下への出入りや運行規制も厳しく、小犬丸渡しを利用できたのは、上級藩士や通行手形のある人だけでした。下級藩士や旅人は、広津渡しを利用して、城下の外堀を遠回りするように城下町へ入っていました。


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