吉富町の歴史

● 縄文時代(じょうもんじだい)から古墳時代(こふんじだい)のころまで

年表

吉富町周辺(よしとみまちしゅうへん)では、まだ「(くに)」もない何千年も昔から人々が生活(せいかつ)していました。そうしたようすは、このあたりで発見された、縄文時代(じょうもんじだい)弥生時代(やよいじだい)とよばれるころの石器(せっき)土器(どき)などから知ることができます。
しだいに「(くに)」がかたちづくられる古墳時代(こふんじだい)になると、身分(みぶん)の高い人のために「古墳(こふん)」とよばれる大きなお(はか)が作られるようになりました。こうした古墳(こふん)吉富町周辺(よしとみまちしゅうへん)でたくさん見つかっており、私たちの祖先(そせん)がこの地で生活(せいかつ)していたようすがわかります。

解説 縄文時代の石器

古墳

● 飛鳥時代(あすかじだい)から安土桃山時代(あづちももやまじだい)まで

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日本では昔からいろいろな(かみ)さまが信仰(しんこう)されており、日本の各地に神社(じんじゃ)があります。吉富町(よしとみまち)にある八幡古表神社(はちまんこひょうじんじゃ)飛鳥時代(あすかじだい)につくられたといわれており、とても古くからある神社(じんじゃ)です。
また、このころ、日本に仏教(ぶっきょう)がつたわると、お(てら)もさかんにつくられるようになります。鈴熊寺(れいゆうじ)奈良時代(ならじだい)に、広運寺(こううんじ)室町時代(むろまちじだい)にたてられたといわれています。こうした神社(じんじゃ)やお(てら)には、古くから伝わる神事(しんじ)仏像(ぶつぞう)などがあり、これらも当時(とうじ)文化(ぶんか)を伝えるとてもたいせつなものです。

解説 細男舞神相撲

細男舞神相撲のことをもっとしらべてみよう >>

ご神体、仏像

● 江戸時代(えどじだい)から現在(げんざい)まで

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江戸時代(えどじだい)の終わりごろ、「幕末(ばくまつ)剣聖(けんせい)」といわれた島田虎之助(しまだとらのすけ)が、修行(しゅぎょう)をおこなったのが天仲寺山(てんちゅうじやま)です。島田虎之助(しまだとらのすけ)は、同じく幕末(ばくまつ)活躍(かつやく)する勝海舟(かつかいしゅう)の先生としても知られており、正しい心をもって剣を修行(しゅぎょう)するという「剣心一致(けんしんいっち)」の教えを()きました。
明治(めいじ)になると、市町村制(しちょうそんせい)によって東吉富村(ひがしよしとみむら)高浜村(たかはまむら)発足(ほっそく)しました。産業(さんぎょう)発達(はったつ)し、学校、橋、国道がつくられるなどして、村がどんどん発展(はってん)してゆきます。そして、昭和(しょうわ)17年(1942年)には「(むら)」が「(まち)」となり、現在の「福岡県吉富町(ふくおかけんよしとみまち)」が誕生(たんじょう)しました。

解説 剣心一致の碑

石祠や石塔など

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