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■縄文時代の山国川

12,000年前頃(14,000年前頃とする説もある)~二千数百年前頃までを縄文時代と呼んでいますが、水深20メートル未満の関門海峡が水没して、本州島と九州島が分離したのは縄文時代になってからだとみられます。早期は、現在の海水面よりもかなり低かったようです。旧石器時代と縄文時代を区分する要素は、土器と弓矢の出現です。土器の出現は、「煮沸する」調理方法の開発、「液状物の貯蔵」方法が確立したことになります。

山国川流域は、安山岩質の溶岩や洪積台地を侵食しながら沖積平野を広げましたが、自然堤防や ()高地に縄文時代の生活の痕跡が残されています。吉富町あたりでは、地下げ工事中に矢頭田遺跡(やずたいせき)幸子(こうじ)遺跡で晩期後半の土器片が採集されていますし、岡為造氏資料中の楡生(にりょう)岡屋敷、今吉、直江から採集された打製石斧(だせいせきふ)や磨製石斧などは、晩期を中心とした縄文~弥生時代前期頃のものとみられます。

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