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■弥生時代の吉富周辺

水稲耕作の技術は、縄文時代の晩期に玄界灘沿岸部の地域にいち早く伝わり、大陸系の磨製石斧(ませいせきふ)や、柳葉形磨製石鏃(やなぎばがたませいせきぞく)などの新しい技術や、支石墓(しせきぼ)などの墓制も伝わりました。既に青銅や鉄の金属器とその代用品としての磨製石器を用いていた大陸の新しい文化は、木材の加工も容易にしたので、木製農機具なども作られ、水稲耕作や土木工事の技術も含んで、生活様式を大きく変化させた可能性があります。

これまで、打製石器を多用していた北部九州の各地でも、弥生時代前期後半から中期にかけて新しい文化を受け()れて、吉富町周辺では豊前市鬼ノ木四反田(おにのきしたんだ)遺跡で舶載(はくさい)(朝鮮半島製)青銅製ヤリガンナ、小型の銅鏡などが出土していることは、この周防灘沿岸の地域に、大陸からの文化が比較的ダイレクトに伝わったことを示しています。

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