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【4】中世の民間信仰と石造文化

■平安時代

平安時代は寺社や豪族たちが大きな宝塔や宝筐印塔を造立して功徳(くどく)現世利益(げんせりやく)を願いましたが、鎌倉時代・室町時代には庶民が五輪塔や宝筐印塔を造るようになり、簡素な一石五輪塔・無縫塔(むほうとう)・板碑・石堂・庚申塔などが流行します。また、地蔵信仰や十王信仰・十三佛信仰などの民間信仰が盛んであったことを示す石造品も見られます。国東半島は石造美術の宝庫といわれますが、同じ宇佐弥勒寺の影響下にあった当地方にも五輪塔や板碑などが各所で多数発掘されたり、藪の中に見られます。

■一石五輪塔

民俗文化財 有形
土屋 壷神社境内

土屋の壷神社境内にあるこの塔は、同地区の土屋宝蔵家前庭に安置していたのを昭和60年に移したもので、当町では唯一といいます。五輪塔は永年のうちに倒れ、ばらばらになるので、一石に刻んだようです。鎌倉時代末期から室町時代にかけて見られる庶民の墓です。


■種子板碑(しゅじいたひ)

民俗文化財 有形
土屋 壷神社境内

板碑(いたひ)は鈴熊寺を中心とした地域に多く、土屋には24基もあります。その内の1基には、4面に1字ずつ、密教の五尊佛を意味する種子(しゅじ)(梵字)が刻まれています。板碑は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて流行した供養塔で、五輪塔を簡略化して板状にしたものです。上部は三角形につくり、その下に深彫りの横線を入れ、種子・年月日・氏名が刻まれますが、無銘のものも多い。本町の板碑は、関東や国東半島で見られる板碑とは異なり、型も小さく、丸石を加工して墓標とした室町時代の庶民の墓と孝えられます。

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