醍醐経一字一石塔・宇賀神社
官兵衛に敗れた宇都宮家の一族
その悲しみを鎮める塔がここにたたずむ
醍醐経一字一石塔
町指定 有形文化財 建造物 平成4年11月16日
小犬丸 宇賀神社 南
文化9(1812)年、中津藩主奥平昌高公により建立。
黒田孝高(官兵衛)と宇都宮鎮房(しげふさ)は対立の後、和議を結び、その証拠として黒田長政と宇都宮家の千代姫と婚儀を結ぼうとしました。
しかし、黒田孝高の裏切りにより宇都宮鎮房は殺され、千代姫をはじめとする宇都宮一族13人も追って殺害されました。
策略に翻弄された千代姫、そしてその宇都宮一族の悲しさを忍び、追善供養のため建てられたものです。
今もここに静かにその霊を慰めています。
- 位牌形石塔
- 右側面「天下泰平国家安康」
- 左側面「文化九壬申秋九月建」
宇賀神社の石祠
町指定 有形文化財
建造物 平成4年11月16日
小犬丸 宇賀神社
黒田は鎮房を中津城に招き酒宴の席で謀殺。
建造物 平成4年11月16日
小犬丸 宇賀神社
黒田は鎮房を中津城に招き酒宴の席で謀殺。
合元寺(赤壁)では家臣たちを殺害し、城井宇都宮一族のほとんどが殺害されました。
さらに小犬丸の松林の山国川原で千代姫たちを磔にして殺害しました。
あまりに凄惨な結末に悲しんだ村人たちは、千代姫らの死を悼んで小さな塚を築きました。
あまりに凄惨な結末に悲しんだ村人たちは、千代姫らの死を悼んで小さな塚を築きました。